フィラデルフィア日記

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Diary 2014 November 28. Friday.

日記。2014年。11月28日。金曜日。

昨日は祝福された感謝祭だった。

ことに数年前にスエーデンで亡くなったインゲマール・ダールストランドの訃報がちゃんと記憶に蘇ってくれたことが有難かった。孤独だった当事、彼は掛け替えのない友だった、彼の笑顔を思い出しながら、全日をすごした。

85歳になって70年前少年時代の旧友の笑顔が記憶にあることは感謝しなければならない。

一日中、   Orland Figes .   Revolutionary Russia, 1891-1991. (A Pelican Introduction)   今年、ロンドン初版のを数日前にアマゾンを通じて入手した書。韓国甲申事変(1848)以後の日清戦争から韓国再興までの百年間(1891-1991)の露西亜革命歴史を簡潔にまとめた英国知性の好著。

ミズーリで起きている黒人射殺事件を念頭に置きながら読みふけった。

● 今日は綺麗に晴れた秋日。露西亜史に読み耽った。

● 昨日、アナスタシアから感謝祭電話。ありがたかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Diary 2014 November 27. Thursday.感謝祭。

日記。2014年。11月27日。感謝祭。

今日は11月最後の木曜日。感謝祭。

1949年の冬。着米二年後の冬、大学一年だった。見慣れないアメリカの冬、ヴァーモント州のプロクターズヴィル村の旧家出身の級友に招かれて感謝祭をその村で過ごした。全てが珍しかったし、七面鳥がなんだかも知らなかった。その村への道すがらこんこんと雪が降り積もり始めてたのを覚えている。

その四年前の1946年(昭和二十年)の冬ソ連軍占領下を脱出した時に別れたインゲマールの訃報を去る(2014年)8月29日に知った。死亡記事をこの日記に再録しておく。

彼とは当時東西に別れたままだ。

当時、米国が差し向けた日本船で引き揚げる日本人居留民たちに混じり、おそらくサセボだかの経由でストックホルムに帰ったのだろう。彼の父はスエーデン領事だった。

彼の訃報を今年知るとは思わなかった。

ユダヤ籍友人たちはイスラエルが差し向けた汽車で大連の北の国共戦闘線を越えて天津経由でイスラエルに避難できたと後日知った。

念のためその訃報記事を再録しておく。

Ingemar Dahlstrand, född 30 januari 1932 i Tokyo, Japan, är svensk datalog och datapionjär som bland annat ledde utvecklingen av den första svenska Algol-kompilatorn. Hans föräldrar var direktör Karl-Åke Dahlstrand och Karin Johansson.

Han studerade matematik, fysik och mekanik vid Uppsala universitet där han tog filosofisk ämbetsexamen 1955. Dahlstrand arbetade sedan först med Börje Langefors vid Saabsberäkningskontor i Linköping 1955-57. Därefter flyttade han till ADB-Institutet vid Chalmers i Göteborg där han var 1957-59. Dahlstrand utförde pionjärinsatser inom dataområdet när han ledde framtagandet av den första svenska kompilatorn för Algol 60 för den tidiga datorn Facit EDB vid Facit Electronics AB (Facit AB) i Göteborg 1959-64. Styrelseledamot i Svenska Samfundet för Informationsbehandling (SSI) sedan 1963.

Därefter blev han först systemchef vid Industridata AB i Göteborg 1964-66 och sedan distriktschef där 1966-68.」

● 今感謝祭午前2時半。今日の正午にジャイアンツ背後の印度食堂で感謝祭食事をチャックと二人でする。

          「海藻国門碧、多年異郷老。」

 

Diary 2014 November 25. Tuesday.

日記。2014年。11月25日。火曜日。

もう11月も終わり。明後日が感謝祭。26ドルもする極大七面鳥がジャイアンツで無料配布なのを受け取り、お隣りにあげた。孫沢山なご家庭だ、感謝された。チャックの発案。

● 昨夜真夜中近くに、ミズリの警官が不起訴になった。

https://www.google.com/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=2&cad=rja&uact=8&ved=0CCEQqQIwAQ&url=http%3A%2F%2Fwww.nytimes.com%2F2014%2F11%2F25%2Fus%2Fferguson-darren-wilson-shooting-michael-brown-grand-jury.html&ei=D2J0VJqpCMb8yQT52oHYBQ&usg=AFQjCNGXzAbNyLpzdmehPl1_Eir_bWd4yQ&sig2=xnLD_KpU2pta_9jQrmPnjw&bvm=bv.80185997,d.aWw

 ● 一方、ミズーリでの、抗議が続く。今日、フィラデルフィアでも集団抗議があった、


Ferguson: Businesses Ablaze, Bullets Fly in Overnight Mayhem Over Grand Jury - NBC News

 

 

Diary 2014 November 24. Monday..

日記。2014年。11月24日。月曜日。「戒厳令

黒人少年を射殺した白人警官の処置をめぐり、ミズリ州の法組織が分裂して続いているらしい。今日月曜日が決定発表日だが、どうなることやら。処置は米国連邦如何でなく、ミズリ州法上の問題であることになる。

門外漢の僕には委細がわからない。人種問題が依然としてかかわるのだろうと思う。

オバマ大統領の苦悶が察知できるし、彼のような良識指導者を持ってることが、米国の歴史にとって幸いだと思う。

昨日、下記を読んで暮らした。

◎   Orland Figes.

               Revolutionary Russia, 1891-1991.

● 今日は月曜日。週例のジャイアンツ買出し。

● 姪夫婦が中国から貰ってきたアレクサンドラがみるみるうちに米国南部で成長しはじめた。中国の孤児院に棄てられていた子だが、米国到着当時は完全な聾唖だった。孤児院で誰も話しかけないまま六年間放置されていたから。姪夫婦の努力はたいへんなものだったらしい。一年の間に、すっかりみちがえるようになった。

  米国南部の有産階級生活だから、女の子の乗馬訓練はあたりまえ。それに、彼女の馬への愛着はたいしたものらしい。

 ● 北朝鮮国内の独裁政治にあきれはてている。