フィラデルフィア日記

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Diary.2014.March 1.Saturday.

日記。2014年。3月1日。土曜日。

摂氏零度の寒さと、太平洋からカリフォルニアに上陸した湿気が米大陸を東に向かって横切りつつある。
米大陸ほぼ中心のカンザス市あたりからニューヨーク市に渉って帯状の雲が前進。僕の住むフィラデルフィアは異常に冷却し、カリブ海あたりから北上する湿気との衝突で、月曜日にはまたもや雪だそうな。

もう土曜日だ。週末一杯、チャックはお御堂奉仕。

昨日高野山の圭二君としばらく駄弁ることができて、楽しかった。
今月満八十五歳になる。
人生終末なのに、日本語が電話ででも喋りまくれる事はありがたい。

東京のひさのさんから葉書。ご父君の世話で暮らしているらしい。
僕の老齢期は平和そのものだとつくづく思う。

● ウクライナの騒ぎがつづく。今日は一世紀前の韓国独立運動記念日。
数年前にキエフの西にあるジトミールから、元日本軍兵士だった上野石之助さんが報道界に浮上、長男君同伴で数十年ぶりに日本に戻ってきた。お名前「石之助」がイシノスキイと苗字にかわっていた。
長男君がほぼ完全に現地化しているのは、僕の境遇と似ている。もうおそらく生存していないだろう。

あそこはほぼ完全に西部文化中心。キエフのまたもや西だから。

もう一人、北部露西亜の強制収用所にぶちこまれたあと、露西亜女性と結婚してウクライナ近くの黒海沿岸都市トアプセに落ち着いた寺島儀蔵さんがいた。あの町はクリミア半島に近いにしろ、黒海に面した露西亜南部で、コーカサスグルジア共和国に隣接し、今度開かれた冬季オリンピックソーチに近い。

紐育(NY)時報を読みながら、お二人ともドウナッタノダロウナと思った。

お二人とも子供たちは完全に現地。もう孫の代なんだろう。

クリミアの現状はいかにも複雑。あそこの韃靼系原住民はスターリンに世界二次大戦中の昔。シベリアに強制移住させられたあとスターリンが死んでクリミアに戻れたが貧困化し、今でも差別されているそうだ。
彼らは欧州東部に散在する韃靼族と緊密な連絡を保っていた。アメリカにだって、その連中たちの末裔は移住、同化してしまっている。ポーランドベラルーシ国境近くの韃靼村のことを昔この日記でふれたことがある。

https://www.google.com/search?q=lipka+tatars+united+states&rlz=1C2TSNP_enUS482US482&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=D60RU8nMH6mI1AGnxIH4DA&ved=0CDEQsAQ&biw=911&bih=429

Internet
検索: ”Lipka Tatars in the United States"

韃靼だ、トルコ系だとやかましいが、もともとは蒙古系だ。
ハンガリアのマジャール族だって、風貌が蒙古系な人がずいぶん居る。