フィラデルフィア日記

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Diary. 2014. August 23 Saturday.

日記。2014年。8月24日。

● ひさのさんから:

今、日本政府は、オリンピック開催に向けて観光日本
を、うたっていますが、お役所仕事なので、全然目線が間違っています。
世界遺産の日本版を作って、海外の観光客に来てもらおう。
なんて、日本に来る旅行者の事が、わかってません。結局、自分達が修学旅行のような名所旧跡を、回る旅行しかしていないことが、ばれます。

アイヌはもう居ないと宣言したある議員について、一寸書いたら六文銭さんがコメントしてくださった。

アメリカに七十年近く住んで、僕には多数の原住民混血親友が居る。

ただし、外見は完全に白人だが、曾祖母なり曾曾祖母が’インデアンだったとういうのが全部。(曽祖父がインデアンだった友には一度もあったことがない。)

雑婚ってそんなものだろう。日本占領時期に到着した米軍内でも、定着後兵士で日本人女性を娶りたいという連中が従軍牧師(準将校)室には1947年の初春に現れだした。1947年の5月だったから、敗戦の20ヶ月後だった。あれほどの対日本人悪宣伝の20ヵ月後だ。それも、首っ丈になってるのが兵士たちだった。あのころの対応を今でも覚えてる、牧師室内の傍で聴いていただけだが。できる子供のことを考えろ、世間体を考えろ、差別に逢うぞ等。

背高で、男っぷりがよく、日焼けした南部出身の連中が多かった。殆ど全部が農夫や労働者出身だった。南部訛りから推して、アラバマ、テネシイ、ジョージャのような最保守区域が殆どだった。何故かは勿論わからない。

結婚した女性は当時"センソウハナヨメ”と呼ばれた。生い立ち背景には長女が多かった、しっかりしていた。

1960年台になって僕は一家と一緒に当時のデトロイトのやや高級な高層アパートに移り住んだ。そこで、出会ったのがそのような”戦争花嫁女性”族グループだった。あのころ、デトロイトで日本語を話す男は稀だったから、

僕は歓迎された。結婚生活の主導権は奥さんがいつも握っていた。

もう孫、曾孫世代になってる。

フィラデルフィアに来てから、このような人たちとの交際は消えた。

 ● 読書用眼鏡規制品を薬局で今朝買った。22ドル払った。