フィラデルフィア日記

アメブロから引っ越してきました。もとのブログはこちら→ http://ameblo.jp/thomas-penfield/

Diary.2014. September 8. Monday.

日記。2014年。9月8日。月曜日。

● この日記は在米66年目、フィラデルフィア郊外集落居住老人の日記にすぎない。ただ、それだけ。

● 故矢口進也君を通じて友達になった照代さんがブログ”引越し”に驚いて連絡してくださった。

二十年前前後だったかに、訪日したとき東京の何処かで、ご夫婦の事務所を訪ねた思い出がある。僕にとって、アメリカでの66年過去中の道標のひとつのような方だ。

お子さん夫婦は職務がアメリカから英国に代わり、ロンドンで活躍中。彼女の母上も90歳を超えて元気で居られるとのこと。とても、うれしかった。

● ウクライナの内乱が続く。

 

1945年の晩夏だった。

侵略してきた兵士には、ウクライナ出身が多かった。なぜか今でも知らない。

 ただ、この兵士たちは単語「ロシーア」を形而上学的な、畏敬を含むアクセントで発音した。みわけがつかなかった。

 それだけは、覚えている。

 ● 露西亜兵士たちは独逸戦線から極東に転送され、転戦した連中ばかりだった。

極端な性病を患う連中が多かった。母の婦人科医院を訪れて、治療を嘆願する兵士たちが続き、溢れた。16歳の僕は通訳をさせられ、腐りきった男性性器をうんざりするほど見た。母は南朝鮮から密輸入された抗生物質を使った。それが、てきめんに効果した。

患者のうちの六名がやがて大連脱出をたすけてくれた。脱出は‘1946年の初冬11月初旬だった。

● 今、月曜日正午。

チャックとジャイアント買出しから戻った。