フィラデルフィア日記

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Diary.2014.September 14. Sunday.

日記。2014年。9月14日。日曜日。

● ひさのさんから

   ◎潮田淑子著。ダブリンで日本美術のお世話を。平凡社、2014.

が届いた。著者はひかえめな人柄と知性に富む人だ。

楽しく読んでいる。

           僕とアイルランド(愛蘭)との関係は70年の昔1947年にさかのぼる。

   太平洋戦争直後に朝鮮族にヒキアゲげられる筈もなく、一家は露西亜町波止場から50トンの漁船で南朝鮮に逃げた。

   日本と朝鮮の狭間育ちの僕は朝鮮語が勿論話せなく、ソウルで教会の世話で米軍司令部で働いた。大連育ちだったから、英語は流暢に操れたし、タイプも速記もできた。そして、僕は辛い二十ヶ月をソウルで過ごした。

   愛蘭コロンバン宣教会のMonsignor Thomas Quinlan先生に米軍軍事司令部の従軍牧師室で知己を得た。僕は17歳になったばかりの少年で、東京生まれだ。

   先生は春川教会の担当で、定期的に春川から国外からの郵便を受け取りにソウルにやってきた。数名の二十台、三十台の彼の若い部下のほやほや神父たちとも一緒に。うち三人は数年後朝鮮戦争勃発直後に共産軍に殺害された。クインラン神父は北朝鮮に連行され、数年後釈放されたあと、春川に戻り司教として尽くされたあと、亡くなった。

   僕を渡米に助けてくれたロバートもそれが因縁のアイルランド系米人兵士だし、四十年一緒に暮らしているチャックもアイルランド系だ。チャックと僕は一緒にアイルランドを二度若いうちに訪ねた。