Diary.2014. September 25. Thursday.
日記。2014年。9月25日。木曜日。
僕が住む場所はやはりフィラデルフィアやな。
ゲイ・カプルの殴られ挿話が予期もしなかった方向に進展している。
男性二人、女性一人が昨日起訴された。ところが、その女性がとんでもない人間らしい。下掲写真は彼女がウイスキイ一ガロン瓶をがぶ飲みしてる写真。親父さんがフィラデルフィア北方の町の警察署長。彼女の不品行は隣近所で凄い評判らしいシロモノ。
Meet Kathryn Knott, The Violent Homophobic Nurse Who Beat A Gay Couple Unconscious / Queerty
親父さんが気の毒だと思いながら、記事を読んだ。上掲の英文記事に細かく委細が綴られている。一般市民の即時のインタネット連絡で犯人たちの情報が明るみにでたらしい。
● 近所のユダヤ族共同体体育部に出頭。老齢によるやめる手続きをした。
正常な運動はもうできないから。綺麗な二十五歳前後の女性が窓口でコンピュータの前に座っていた。
手続きの理由書をしたためながら、その女性と簡単に話した。
僕とユダヤ族との関係は中学時代に遡る。あの太平洋戦争中、少年だった僕の境遇は終わりになるまで悪化しつづけた。殴られ続きだった。でも、大連伏見台教会海星学院を通じて僕は数名の欧州系友人をもつことができた。その数名が欧州から追い出されて避難してきたユダヤ族少年たちだった。
その関係が85歳を過ぎた僕の現在まで七十年そこらに続いている。
その関係がこれで終わりになるわけだ。
あの不幸な戦争期に朝鮮人だと苛められなかったらユダヤ族少年たちと僕の関係は生まれなかっただろう。僕たちは運命同舟。あの苛めがなかったら、僕の現在の平和はおそらく無いだろう。チャックが40年も傍にいる祝福も。
別れ言葉がごく自然に僕の口先からでた、「Shalom.]
当時一緒に習った挨拶だった。あの時期に習ったヘブライ語を今になっても忘れていない。驚いたように、彼女も答えた「シャロム。(平安で。)」
悲しかった。人生の終わりが近づいているのだから。