Diary. 2014 October 27. Monday.
日記。2016年。10月27日。月曜日。
十月も終わりに近づいた。
今日は週例の買出し日。チャックと二人でジャイアントを訪れたあと、チャックは午後4時までお御堂奉仕へ。
静かな老後の月末日だった。
● 夕食にチャックが今日ジャイアントでたった8ドルで買った、ロースト・ビーフの箱詰めを空けて、二人で平らげた。すてきだった。
FoodReview: Hormel Beef Roast with Au Jus - YouTube
この箱詰めはホーメル会社製で、この会社はミネソタ州ミネアポリス市の南、
オースチンという町にある。
1948年の8月21日前後だった、故郷大連を1946年に脱出して、ソウルにつき、ほぼ完全に「日本化」し、朝鮮語さえ操れない僕は南朝鮮(韓国)で爪弾きされるまま、20ヶ月をすごした。
母は過酷過ぎるほどの借金をして僕をアメリカに放してくれた。
当時の西北航空機。
無国籍のまま僕はアメリカに向った。最初にたどり着いたアメリカ空港がミネアポリス空港だった。まだ小規模な東洋に連結した田舎空港だったが、散在する湖と公園に囲まれ、瀟洒な個人住宅が鏤められ天国のように思われた。ついたあと、次の紐育(NY).便を半日待たされるというわけで、西北空港はわざわざ付きっ切りの職員を特別に配置してくれ、楽しいミネアポリス見物をさせてくれた。
チャックと上記のロースト・ビーフの箱をあけながらその当時をふっと思い出した。
僕は親不孝な息子だったと思う。
六十年後に、アメリカに引きとったにしろ、母は1995年にフィラデルフィアでひっそりと亡くなった。享年90歳だった。