フィラデルフィア日記

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Diary. 2014. October 9. Thursday..

日記。2014年。10月9日。木曜日。

●金ピョンヨンン教授が書いてるコメント。ソウル大学経済学部。

  [北朝鮮が直面する危機を克服する道は改革と南北交流の活性化だ。まず北朝鮮は外部から入るお金を現在のようにスキー場など誇示用の事業に使わず、生産活動のための資本として活用しなければならない。そのために北朝鮮は私企業の創業と活動の自由を許諾しなければならない。そして製造業種の輸出中心私企業を起こし、その利潤を再投資してこそ、北朝鮮経済が回復する。また、韓国との経済交流協力を強化する必要がある。これを通じて対中貿易依存度を減らし、熟練度を高めながら技術と戦略を学び、高付加価値を創出する輸出企業を育てなければならない。北朝鮮幹部の仁川アジア競技大会閉会式出席が危機を機会に変える転換点になることを期待する。] 
僕自身は期待しない。

あそこは、頭の古い連中ばかりだから。
● 白菜があまり残ってるので、今日の午後に浅漬けのもとを使って漬けた。

新潟の襄君が時折送ってくれる漬物粉だ。有難いと感謝してる。

●   大連から1946年11月に脱出し、ソウルについて間も無くだった。あのころの狭間育ちの僕は朝鮮語が話せなかった。朝鮮王国滅亡から35年目、16歳の僕は日本化し、普通の日本少年よりずっと日本人だった。朝鮮半島に受け入れてくれるはずもない。

現実として、大学入学は考えもできなかった。

仕方なしに、米国陸軍に就職従軍牧師室の秘書として働き、結果としてまわりの米軍兵士や民間人の友達とすぐ仲よしになっていた。

  その仲間の一人が大学をでたばかりの文学青年だった。七十年のことだから、名前などの委細を覚えていない。彼を通じてそのとき小説家として売り出し始めていた Truman Capote の Other Voices, Other Rooms (遠い声、遠い部屋)を読んだ。

カポテはたしかルイジアナ生まれのNYC育ちで僕よりわずか五歳としうえだった。

       読み出してから享けた衝撃を僕は85歳を過ぎた今でも覚えている。

    Other Voices, Other Rooms

 学歴たった中学四卒で、しかも英語と言えば、戦争中対日放送で覚えたばかりの英語しかない僕にとって五歳年長のその青年の成熟した書法は衝撃というほかなかった。

 優れた小学校作文教育を受けたとは言え、突然僕は英語世界で育った青年の作品にでくうわしたのだから。しかも、米軍占領下のソウルで。

これ以上は今日は、記るさない。1924年生まれの彼は1984年に若死にした。