フィラデルフィア日記

アメブロから引っ越してきました。もとのブログはこちら→ http://ameblo.jp/thomas-penfield/

Diary.2014. March 29 Saturday. 父の命日。

日記。2014年。3月29日。土曜日。

 

父は東洋日付で、1975年の3月30日、復活祭午前10時に亡くなった。僕は親不孝な息子だった。父の死に目にも会えなかった。

 

考えてみれば彼の人生は気の毒だった。1898年に生まれ、12歳の時に亡国の憂き目に遭い、人生の大部分を民族更生の努力で費やした。1945年に祖国光複をみたものの、祖国は南北に二分されていた。

 

彼は黙して語らなかった。ただ、黙って働いて、朝鮮族の労働者社会で黙って教え、黙って死んだ。

 

名も無く、彼は死んだ。だが、彼が夢見た、再建された韓国社会はどうやら国際社会のなかで生き延びている。

 

今土曜日の午後8時30分。あと30分での午後9時が彼の命日死亡時間にあたる。今の僕にはただ祈ることしかできない。

 

● 城戸久枝さんの「遥かなる絆」に関する記事を読み返した。

 

そして、1946年の寒い春の日に大連常盤橋のたもとで売りはらわれていた5歳前後の日本人兄妹二人のことを考えた。この七十年、僕は彼らを忘れられないでいる。彼らももう七十五歳を過ぎただろう。どんな人生を彼ら二人は辿ったのだろう?

 

アメリカの僕にはただ祈ることしかできない。

 

日本に現在する「残留孤児」援助組織の宛名を知っていられる方がいられたら、教えて戴きたい。